社長・部長エッセイ

「職業人」であれ

2007年09月
「職業人にあらず」安部元首相の突然の辞任の報を聞いた時に、頭に浮かんだのはこの言葉でした。この件自体の是非はさておき、私たちにとって「職業人」とは何を意味するのか、皆さんそれぞれ常日頃から考えていることだとは思いますが、是非この機会に改めて考えてみましょう。 私にとって「職業人」とは、いちど仕事を受けた以上何があってもやり遂げる、しかもプロを自認するのであれば、どんな状況であってもクライアントや周囲の関係者を満足させるような成果を出す、ということを意味します。少なくとも状況や人のせいにしない、ということでもあります。私がいつも皆さんに言っていることですよね。やりがいも困難も承知の上でこの職や仕事を「選択」したのは私たち自身であり、選択した以上そこには責任があるということです。選択の自由と責任、そうしたバランスをきちんと取れるのが職業人ではないでしょうか。 もちろん一国の首相であることは、想像以上の重責なのかもしれません。私たちの責任とは比べ物にならない、という声も聞こえてきそうです。だからといって、私たちそれぞれが抱えている責任が重たくないのか、といえば決してそんなことはありません。何も首相でなくても、責任を遂行する上で楽しいこともあれば苦しいことや大変なこともたくさんありますよね。その人にとってチャレンジであればあるだけ壁も高くなるわけです。だからといって、少なくとも途中で投げ出すようなことはしないはずです。これ、あたり前のようで実は分かっていない人が、時々いますね。 私が好きな「カニは甲羅に似せて穴を掘る」という言葉について、かつて書いたことがあります。人は自分の甲羅、つまりキャパシティに合わせて仕事を選び実行する。仕事、つまり掘る穴は小さすぎても大きすぎてもいけない。自分の甲羅より少し大きめの穴を掘るようにすれば、それに合わせて甲羅も少しずつ大きく成長する、逆に小さめの穴を掘っていると甲羅も少しずつ小さくなっていく、ということだと解釈しています。 「掘る」という努力を一生懸命しない限り甲羅は大きくなりません。その過程でその人の責任が発生しますが、そこでは、責任自体の大きさとか重さというよりも、その人が自分の甲羅、つまりキャパシティをきちんと理解した上で掘り始めたのか、始めた以上それをやり切る心構えを持っていたのか、そうしたことの方がよほど重要なことだと思います。甲羅の大きな人は大きな責任が、小さな人も小さいなりに責任がある、それをきちんと認識しやり遂げようとしているのか、それが大切だということです。 NHKのプロフェッショナルという番組を見ていたら、出演者が最後に「プロとは自分がこの世から去った後も世の中にインパクトが残せるかどうか」だと語っていました。とても大きな夢だなと感じました。私たちもプロとして、世界中のさまざまな国を相手に、大きなことにチャレンジしているわけですよね。私はそこに職業人としてのロマンややりがいを感じます。そしてKMCという舞台で、それをさらに昇華させていきたいと願っています。 私たちは「職業人」として、私たち自身の甲羅に合った仕事を着実に誠実にやり遂げ、成果を積み上げて甲羅を大きくしていき、そして世の中に対して益々意義のある仕事をしていきたいと考えます。誰に対しても誇りを持てるような仕事をし、そしてその結果として世の中に良い「変化」をもたらす、それこそが私たちの大きなやりがいなのではないでしょうか。それができるのが、職業人の集団としてのKMCという会社だと思います。KMCとは社員全員でそうした価値観を共有できる、そんな組織でありたいと願っています。
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