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社長・部長エッセイ
【部長シリーズ第22回】企画管理部長:次回のお正月はこれまでとちょっと違う
KMC通信チームから巻頭言の依頼を受けたと思ったら、あっという間に提出期限が到来してしまい、慌ててこの原稿を進めている次第です。よく言われますが、本当に時が経つのは早いです。
さて、今年のお正月は大きな地震からスタートしてしまいました。私の故郷は大きな被害があった石川県です。ですが、能登地方ではなかったので、被害はごく小さなものでした。
発生当時、石川県沿岸全域に大津波警報が発令され、NHKのアナウンサーが非常なトーンで避難を叫んでいたらしく、両親も車で避難しました。このアナウンサーについては後日、特に予想ほど津波がこなかった地域からアナウンスの在り方についてやりすぎとの批評が出たそうです。とはいえ、のんびりしている両親が動いたということは効果的だった思います。ただし、次回も同じやり方で同じ効果を期待するのは難しくなりました。
話がそれてしまいました。実家は海まで徒歩20分のところにあるので、とりあえず母が車を運転して、海から遠いところにある友人の家に身を寄せたそうです。そこで2~3時間ほどお茶をすすりながら過ごして、大丈夫そうだということで家に戻りました。
この間、家族LINEで私や私の妹たちと逐次連絡を取り合っており、80歳になってもITツールを使えることの大事さと田舎における車を運転できることの有利さを再認識しました。
実家の被害は窓の近くに立っていた燈籠が崩れ、それが窓に当たってガラスが割れた程度で済みました。私は実家へ帰省することなく東京におりましたので、当時の状況はわからなかったのですが、写真は3月に実家に帰る用事があった際に撮った写真です。割れたところを段ボールで塞いでいます。能登の被害と比べると、この程度で済んだのは不幸中の幸いでした。

「災害はいつも忘れたころにやってくる」というのは、本当にそのとおりだと今回はあらためて実感しました。私の実家周辺はほんとに自然災害と縁のないところだと思い込んでいました。台風は直撃しないし、大雨による洪水もないし、大きな地震も起こっていない、と。
しかし、よーく思い出してみると、災害はすぐそばまでやってきていました。
高校1年生のとき、日本海中部地震があり津波警報だったか、注意報だったかが発令されました(このとき能登地方では死者も出る被害がありました)。何も知らない高校生の私たちは、その時、川の河口近くでボートの練習をしていました。すると、すぐに避難するように近所の消防団のおじさんが叫んでいるので、ボートを楽しんでいた私たちは少々むくれ顔をしながら、ボートを艇庫にかたづけることなく、慌てて学校へ避難した覚えがあります。
そして2022年8月、高校生の頃にボートの練習をした川の上流で大雨による洪水があり、浸水被害が発生しました。幸い下流の地域では洪水は発生しませんでしたが、インターネットで国土交通省の河川ライブカメラをみると、実家近くの川は見たことないほど増水しており、おもわず母にLINEを入れました。
そして今年1月、今回の地震が発生し、軽微ですが実家が破損しました。
いずれも、自分やその周囲の人に被害は及ばなかったし、軽い破損で済みました。大津波警報も発令されましたが、結局、自分たちのところには津波はやってきませんでした。自然と「タイシタコトナカッタ」という思いが湧き起こっていました。
こうして、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価する「正常性バイアス」の芽が生まれます。
そして、遠くで災害があっても、自分の日常に影響がないため「今回も大丈夫」となり、関心が薄まり、忘れてゆくループに入ります。
注意を怠らないというのはなかなか難しいです。思い出すために災害があった日は特別な催し物や報道が組まれたりします。今後、1月1日にお正月ムードをちょっと冷ますような報道があるかも知れないのは、何となく憂鬱ではあります。ですが、注意を呼び起こすには逆に良い日かもしれないと思っています。
忘却を防ぎ、薄くなる関心を呼び覚ますため、お正月に実家へ送るLINEに何かひと工夫加えようと考えています。