和して同ぜず
クライアントのニーズはどこに?
先日の研修合宿で、クライアントとの距離の取り方が難しい、という話をしました。コンサルタントとはクライアントの真のニーズを探り出し、それをいかに実現するかをサポートする存在だと考えていますし、KMCの理念のトップにも"もっとも重要なことは、クライアントのニーズを満たすこと"を掲げています。ところが、その"ニーズ"がなかなか見えてこないため、どのようにクライアントをサポートすべきなのか、最近よく悩みます。ニーズが見えないならば逆にこちらから見せてあげれば良い、という事なのかもしれませんが、必ずしもそれが望まれているわけではない。だからなかなか意見がかみ合ってこない。
家を建てる時、デザイナーは施主の意向を大切に、いかにそれを具現化していくのかに腐心すると思います。ただ、木の家が良いのかそれともコンクリート建てなのか、2階建てなのか3階建てなのか、どのくらいの大きさで部屋数はいくつくらいなのかを決めるのは施主であってデザイナーではないはずです。腕利きのシェフは色々なメニューを用意し、お客さんにどれを食べてもらっても満足してもらえるように鍛えているはず。そのどれを食べるのか、少なくとも和食なのか洋食なのか、どの位品数が欲しいのか、それはお客さん自身が決めることです。当たり前のことなのですが、それがODAではなかなかできていない。だから何かブレークスルーできないものを感じている。
信念が あれば とんがり 怖くない
前回の巻頭言では、「きちんとした大人が、前向きにとんがった個性を発揮している組織が理想」と書きました。「誰かのニーズを満たそう」と意識しすぎることが遠慮につながり、それがひいては自分たちの没個性につながってしまう。それでは結局、誰にとっても決して良い成果をもたらさない。そんな危惧が私の中で大きくなってきています。だからこれからはもっと個性を大事にしよう、とんがることに躊躇しない方が良い、そんな話を合宿でしました。その後、田村さんからは「信念が あれば とんがり 怖くない」という歌、言い得て妙でした。
和して同ぜず
論語の中に「和して同ぜず」という言葉があります。君子は誰とでも「協調」するが、道理にはずれたことには「同調」しない。主体性をもって人とつき合うべきだ、という意味のようです。「君子はたとえ軍門に下り、降伏の儀礼をとることはあっても、勝者に対して一線を画し、同化はしない」(北海道交通研究会佐藤馨一氏)という解釈もありました。 つまり、自分の「信念」や「主体性」を拠り所とし、納得ができなければ決して「同意」はしない。一方で「和」の心も決して忘れるな、それが日本人が最も大切にする美徳、ということを示唆してくれているのではないかと思います。
合意であって同意ではない
協調や和の心で意見をたたかわせ、最後は多数決によって結論を出すこと、つまり反対意見がたくさんあっても構わないとする、これが合意形成です。ただその実、合意形成には相当な時間がかかることもある。それでも諸事、ともかくどこかの時点で何かの決定をしなければならない。だから、ある程度は合意形成を心がけるけれど、最後は責任者がその責任を背負って「決定」するべきだ、というのが私の考えです。その一方で、同意は反対意見をなんとか説得して全員一致の結論を求めること。それができれば良いが、そもそも利害関係者ばかりの開発において、同意など簡単にできるはずがない。だからはなから、自ら同調したり相手を同調させたりして同意を形成することなど考えない方が良い、とも考えます。
合意形成と同意形成は違うということですね。私たちが心がけることは、合意であって同意ではない、ということ。その合意形成にあたっては、クライアントのニーズを大事に、もし見えなければそれを探しながらも、私たちそれぞれの「個」が信念や主体性を持ってとんがることを厭わない。でも和の心も忘れない。これは簡単なようでとても難しいことではありますね。だからこそ、これから益々「KMCコンサルタントらしさ」を考えていく上で、是非皆さんとも議論を深めていきたい事だと思っています。